株式会社 対松堂精工(TAISHODO SEIKO CO., LTD.)  

採用情報

社長メッセージ

はじめまして!対松堂精工の社長、田中寛孝です。

まず、今回何らかの縁で当社のHPに来てくださったことに感謝しております。人生において、運や縁というのは切っても切り離せないもの。後から振り返ってみれば、 ちょっとしたキッカケがその後の自分を大きく変えた…ということがよくありますね。今回はネット上ではありますが、あなたと出会えて私はうれしく思っています。 そして、この出会いがお互いにとって良いものとなるように願っています。
田中 寛孝
株式会社 対松堂精工
代表取締役
田中 寛孝(たなか ひろたか)

◆Profile

生年月日
1956年9月26日
出身地
愛知県
熱中していること
ラグビー
(子供のスクールについていったのがキッカケで、43歳の時にはじめた。今ではコーチやレフリーもやっている。)
特技
パソコン
好きな本
歴史モノ
信念
裏表を持たず、誠実に
引退後の夢
65歳になったら、妻と海外でのんびり過ごしたいと思っている。


◆田中寛孝 History
【少年時代】
実家が「対松堂」という薬屋をやっていたので、小学校高学年になってからは、学校から帰ってきて店番をするのが日課となっていた。
【社名の由来】
ちなみに「対松堂」の名前は、創業時、実家の前に大きな松の木があったことに由来している。薬屋から問屋へと業態が変化したため、それに伴って手伝いも無くなった。
【大学時代】
サイクルキャンピングの同好会に熱中し、北海道から沖縄まで、日本全国様々な場所を自転車に乗って旅する。他大学の友人も数多くでき、非常に良い経験を積んだ。
【就職】
日産化学工業に入社。工場で3年、農薬事業部で3年の経験を積む。営業として優秀な成績を残し、会社から表彰された経験アリ。
【就任】
6年で前職を辞め、株式会社対松堂へ入社。営業を3年間経験した後、94年に「対松堂香港」の社長に就任。現地へ赴任し、新工場の立ち上げなどに関わる。
【現在】
98年に帰国後、直ちに対松堂、対松堂精工の社長に就任する。中国で社長業を経験したことは、自分にとってすごくプラスになっている。
【未来】
最新技術の追求、全社員のレベルアップ、海外進出・・・常にお客様から頼られる存在であり続けるという目標を達成するために、これからも進化し続ける企業でありたい。


対松堂精工の社長はどんな仕事をしているか?


社長の仕事は色々とあります。商品戦略・マーケティング戦略・財務戦略など、会社の方向性を意思決定し、それに対して責任を持つこと。時には自ら海外拠点へ出張し、現場の陣頭指揮を執ることもあります。

それらの中でも私がもっとも重要だと考えていることは、優秀な人材を採用し、適所に配置して最大のパフォーマンスを発揮してもらうことです。それは経営者として最大の使命であり、最大の喜びだと感じています。

対松堂精工では性別や年齢に関係無く、手を上げてくれた人に権限と責任を与えます。時には手をあげなくてもチャンスと責任を与えるかもしれません。

活躍の幅は、日本国内だけではなく、海外にまで広がっています。日本発、世界規模で活躍できる・活躍したい方をお待ちしております。


仕事内容


【集職種・分野 電子回路設計技術者】
電気・電子機器の心臓部となるプリント回路板の設計を担当して頂きます。大手電機メーカーの製品の中心に、対松堂精工の技術が活かされています。 精密機器の心臓部を創る仕事…製品の表に出る機会はほとんどない商品ですが、私たちの技術・商品がなければ精密機器が出来ないと言っても過言ではありません。 そういう意味で、私たちはなくてはならない存在なのです。

【仕事内容】
CADを駆使してのパターン設計や実際に出来上がってきた試作品のテスト・・・お客様やメーカーと設計上での不明点等の打ち合わせや提案も行います。明確な答えが無い仕事で、設計した物は全て自分のオリジナル。自分の設計した製品が採用され、世の中に出て行くことが最大の喜びと言えるでしょう。